12月4日放送の『林先生が驚く初耳学』で、江戸時代中期に水野南北が手相・人相術を記した南北相法について紹介されておりました。
 火葬場、床屋、銭湯で統計を取っていたと徹底されていたようです^^;

 29:41~



水野南北


水野 南北(みずの なんぼく、
宝暦10年(1760年)-天保5年(1834年))は、江戸時代中期の頃の観相学の大家。当時、日本一の観相家といわれ「節食開運説」を唱えた人物である。

生涯
水野南北は、大坂阿波座(大阪市西区)に生まれたが、幼くして両親を亡くし鍛冶屋をしていた叔父「弥助」夫婦に育てられる。子供の頃(10歳)より盗み酒を覚え、酒代に窮して叔父の稼ぎ集めた虎の子を持ち逃げし、天満(大阪市北区)で酒と博打と喧嘩に明け暮れ家業の鍛冶職鍵錠前造りから「鍵屋熊太」と呼ばれる無頼の徒となった。

刃傷沙汰を繰り返し、 18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、天満の牢屋に入れられる。牢内で人相と人の運命に相関関係があることに気づき観相に関心を持つようになる。

出牢後、人相見から顔に死相が出ていると言われ、運命転換のため、慈雲山瑞竜寺(鉄眼寺)に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、堂島川で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりでなく、運勢が改善してしまった。

こうした体験から観相学に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め南北相法を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた。  『水野南北 ウィキペディア』より抜粋


 占いインフォメーション欄トップページ




ブログランキング・にほんブログ村へ   
com 緑